高校時代

入学平成元年(1989年)
卒業平成4年(1992年)

高校時代は県立の進学校に通いました。3年生の頃に気づいたのですが、理系の学校ではなかったそうで…じゃぁ、この学校は役不足だったの?

高校では理数系を特に伸ばし、部活も2つ掛け持ちし、委員会活動も積極的に行いました。

部活1:数学研究部

数学を研究する部活と言うより、コンピューターを使って面白いプログラムを作ろうという部活でした。文化祭で制作したプログラムを展示・披露するだけで、大会に出ると言うこともありません。

私は主にSHARP X1でBASICを操っていました。トランプゲームを作っていましたが、カードが配られたり捨てられたりする様子を音と動きで表現し、先輩が作っていたものよりも面白くなりました。

尊敬する先輩はいました。彼はBASICではなく、MSXでアセンブラを操り、当時はやっていたパズルゲーム「テトリス」を作っていました。アセンブラを扱えればもっと高速にプログラムが動作するのにと指をくわえてみていました。

私も少しアセンブラを少し覚え、MSXでダンプリストを編集するプログラムを作りました。雑誌に載っている16進数を打ち込むのを支援できました。実際に使いませんでしたが…

中学生の頃アセンブラを覚え、自宅のPC-8001MKIIを自在に操れたらよかったのにと思いました。

部活2:漫画研究部

数学研究部と活動日が重ならないため、掛け持ちができました。

漫画は書くのが大変でした。専用の用紙に枠線を引き、下書きをインクでなぞって、消しゴムをかけ、スクリーントーンを貼るという作業がありました。

それでも当時はまっていた4コマ漫画雑誌を読んで研究し、オリジナルな4コマ漫画の構成を考えるのが楽しかったです。

ただ、絵はめっぽう下手で、腕や頬がかくかくで、生きている人間を表現できていませんでした。

何よりも手強いのが…女の子。恥ずかしくてかけなかった。今となっては甘い思い出です。

重い風邪にかかる

2年生の頃、高熱が続いて一週間くらい学校に通えないことがありました。何を考えたのか、数学の勉強を進めておいて次に学校に通ったときに先生にわざと当てられ、授業を受けていない範囲の問題を解いてみんなを驚かそうと思ったのです。

しかも病み上がりに自転車で8kmもある通学路を走ったのです。

結果は…先生に「病み上がりなのに」と誉められたけど、翌日から更に3日ほど寝込んでしまう結果に。アホなことをしたと思いました。

 環境問題に興味を持つ

食品添加物や化学物質に興味を持ち、化学に関する読み物を読みあさりながら化学の知識を深めました。大学受験では国立の化学系を志望しました。

興味のあることにのめり込む性格は、化学に関する知識を豊富にし、予備校の模擬試験では校内でトップになり続けました。

しかし、予備校が模試の成績から算出した合格率はわずか3割。それでもあきらめずに勉強し続けました。

それでも奇跡的に国立の学校に合格し、両親共々に喜び合いました。

卒業式の合唱では指揮を担当

卒業式の合唱で指揮者を募集していたので、中学時代の経験を活かすために立候補しました。希望者が多かったのですが、じゃんけんで勝ち、卒業式で歌う歌(卒業生が決める自由曲)を指揮する権利を勝ち取りました。

何度か練習しましたが、生徒たちはあまり歌う気がないのか、歌うのが恥ずかしいのか、声が小さかったです。

これはみんなで選んだ曲で、またみんなにとって人生の思い出となるべき歌なのに! 人生をやり直せるなら、当時の同級生一同に伝えたかった。

そして卒業式。ステージに指揮者とピアニスト、体育館の前の方に在校生、後ろの方に卒業生が座っていました。私はステージから遠くの卒業生に指揮をしなければなりません。

私はせいいっぱい声を上げて歌い、大きなアクションでピアニストと卒業生に伝えました。その歌声は、ステージの前にいる在校生に聞こえていたとか。

卒業式が終わり、階段で想いを寄せていた女子に声をかけられ、「指揮よかったよ」と言われました。私は「ありがとう」と答え、彼女は彼氏と一緒に去って行ったのでした。苦い思い出がそこで終わった気がしました。


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