牧口常三郎伝を読んで

牧口常三郎伝(聖教新聞社編、昭和47年11月18日 美坂房洋)は、「さよなら私の池田大作パートII」の中でたびたび登場した本です。「牧口常三郎伝」は聖教新聞社で編集され、教育者であり信仰者である牧口常三郎の人生や教育理論、生活法、牧口常三郎を知る人たちの証言などが、500ページにわたって収録されています。

出版の経緯

創価教育学会の創立者、牧口常三郎の没後30年の昭和47年11月18日に出版されました。
当時の聖教新聞社のスタッフが多くの学者や文献を手がかりに、牧口常三郎の足跡をたどり、聖教新聞での連載の末、ようやく完成しました。

伝記として、学説の要約として、証言集として、とても完成度の高い本となりました。
その本について、新聞に広告を出し、一般書店に並ぶはずでした。しかし池田大作が乗り気では無かったようで、ほとんど世に出回ることはありませんでした。

それでも、私がこの本を読んでみたいと思ったのは、牧口常三郎がどのような教育者であったこと、創価教育学会の設立理念を知りたかったこと、そしてなぜ投獄されて獄死してしまったのかを正しく理解できていないのではないかと思い、もっと詳しく知りたかったからです。

生まれて十数年間は創価学会員として、牧口常三郎について話は少し聞いていたのですが、それが池田創価学会によってゆがめられて伝えられていることが考えられます。現に昭和50年代後半は、池田大作による慢心や謗法行為が相次ぎ、学会員へは日蓮正宗宗門との関係をほとんど知らされません。
日蓮正宗信者にして、創価教育学会創設者として晩年を送った牧口常三郎ですが、日蓮正宗の信仰を貫いたがゆえに戦中の「国家神道」「軍国主義」に反して投獄された事実があります。池田創価学会にとってそれは不利と考えたので、歴史を書き換えたいと思うのは必定です。

また、創価教育学会の設立理念を詳しく知ることにより、現在の池田創価学会がどれほど食い違っているのかを知ることができ、学会員に対して今の学会は間違っていると指摘できる根拠となります。

親戚を頼って本を借りました

親戚が当時創価学会の要職に就いていたこともあり、もしかしたら持っているのでは無いかと尋ねたところ、持っているとのことです。
ただし、コラムの執筆のために常に使うため、読んだら早めに返して欲しいとのこと。
それでも読ませていただけるというのは非常にうれしいです。

3週間だけ借りて読ませていただきました。

牧口常三郎はどんな教育者だったか

柏崎の船乗りの息子で、非常に勤勉でした。小学校卒業後は北海道へ渡り、19歳のときに師範学校を合格しました。
当時の教育とは、順良で従順なことを求められ、断片的な知識を記憶させることに執着していましたが、そんな押しつけの教育ではいけないと牧口は考えていました。

そこで、いろいろな教育技法を編み出し、実践していきました。
たとえば作文においては、すでにある文章の骨組みを用いて、別の文を作らせて膨らませるという手法を採りました。「さくら、さくら、さくらが咲いた」の文を違う単語に置き換えて「さくら、さくら、さくらが泣いた」とやるのです。
それにより、作文の授業で退屈する児童はいなかったと言うことです。

また、暗記的な地理の授業を改善すべく取り組まれました。地形のことだけを学ぶのでは無く、そこに暮らす人間や経済、社会といったことも統合的に扱う新たな学問として「人生地理学」を提唱されました。

東京へ行き、小学校の校長となってからも教育現場のイノベーションに取り組み、児童やその両親、教師への信頼を勝ち取っています。
貧しい生活をする生徒たちが通っていた小学校では、給食制度の始まる前から給食を実施していました。それによりトラコーマなどの病気が減り、就学率が向上し、非行に走る児童も減ったとのことです。
また、教師には夜学に通わせながら仕事をさせ、のちに判事となった人もいました。
将来最も幸福な生涯を送らせるための、身についた教育をしたいという理念のもと、児童を第一に考えた教育を目指していました。

ところが牧口は権力にこびることは一切せず、地元の実力者は自分の子供を特別扱いしてくれないのが面白くないらしく、牧口を排斥する動きが見られました。
実力者により、牧口は経営が困難な学校へ左遷させられます。ところがそこでも成果を上げたため、さらに左遷させるという不遇な校長人生を送っていました。

しかし東京市長前田多門に牧口の「郷土会」での実力と人望が認められ、白金小学校に栄転となりました。
「郷土会」とは、人生地理学におけるフィールドワークで、郷土の文化や生態系、気候などを研究することをやられていました。前田もそれに参加していて牧口のことを知っていた訳なのです。

白金小学校では9年間教鞭を振るい、白金小学校を名門校としました。

牧口常三郎の名言

本に読まれるな、本を読んだら思索せよ

これは本をたくさん読んでも、それを鵜呑みにしてしまう若者に対して語られたものです。

当時は外国の学者の書物を翻訳して「輸入」していました。外国の学者の通りに実践することが良いことと考えられました。
ところが牧口常三郎は、外国の教育学や哲学の書物を読みましたが、その通りに実行していません。自らの教育現場の体験を元に、批判的に用いたり、参考にして自らの考えをより強固なものにしたりしたのです。

現代はテレビだとかインターネットだとかが普及していて、膨大な情報に接する機会もあります。
しかし、いくらたくさんインプットしたとしても、自分の考えに照らし合わせて取捨選択することをしなければ、身につきません。
SNSなどでの噂話を聞いて、自分で判断すること無く、脊髄反射的に拡散してしまうことは危険であることもこれに含まれているのでは無いかと思います。

次回予告

次回は牧口常三郎が三谷素啓の折伏によって日蓮正宗に帰依し、「創価教育学説」を通じて価値創造のできる人材育成を目指し、教育のみならず、宗教についても改革を行っていった話をしていこうと思います。


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