「始まりの終わり」を見に行こう

切なく、苦しい片思い

あの子との出会いは昨年末。詳しいことを書いてしまうと個人が特定できてしまうので割愛しますが、朝オフィスであの子とよく目が合って、そのたびにドキドキさせられてしまいました。それから毎朝、彼女に会えるかもしれないとその場所へ立ち寄っていました。

ある日転機が訪れました。たまたま食堂の入り口でばったりと会ったとき、勇気を持って一緒に食事しようと誘うと、なんと了承してくれました。まさかこんなことがあろうとはと夢心地になって、食事ものどを通らないほどでした。

それ以降、あの子の事を考えると夜も眠れなくなるほどに。仕事は楽しくなりましたが、週末が憂うつになりました。

毎日会うようにして、そのたびに話をしようとするのですが、その場を繕おうとして無意味な話をしてしまったり、こちらの気持ちを押しつけたりして、とてもぎこちない空気にしてしまいました。相手も顔を合わせると挨拶はしてくれるのですが、自分の話をするように仕向けても効果が無く、こちらの話を事務的に片付けようとしている印象でした。

家でこういうことがあって、こういう写真を撮ったんだと写真を見せても、写真はもういいですと断られました。そのとき、受け取ってくれなかったことよりも、こちらのことに興味が無かったことを思い知らされたのがショックでした。
それ以来、しばらく頭を冷やそうと思い、会わないことにしました。

苦しいときに思い出したこと

この経験から、私も三次元の女子に恋ができたんだと思いましたが、同時に異性に対する被害妄想、愚痴の心、免疫の無さを思い知らされ、そして一旦恋愛対象として意識してしまうと、頭が真っ白になって会話が成立しなくなるほど女の子に弱いことが分かりました。

そして劣等感に押しつぶされ、電車の中で泣きたくなるほど苦しい思いの中で、この状況を打ち破ろうとして思いついたことが、「終わりを思い描くこと」から始めようという、スティーブン・R・コヴィーの言葉でした。
同時に、アニメ「異能バトルは日常系のなかで」で、主人公の安藤寿来が発した「始まりの終わりを始めよう」が聞こえてきました。

「始まりの終わり」ってなんだろう。そう考えたとき、そして五年後に理想の自分が見ているであろうイメージが脳裏に現れました。

「始まりの終わり」とは

おそらく第二次大戦中のイギリスの首相である、ウィンストン・チャーチルの言葉で、エル・アラメインの戦いにおいて勝利を収めたときに

Now this is not the end. It is not even the beginning of the end. But it is, perhaps, the end of the beginning.
「これは終わりではない、終わりの始まりですらない、が、おそらく、始まりの終わりであろう。」

と発したことが由来でしょう。
いかにも中2っぽい台詞ではありますが、「始まりの終わり」がこういういきさつで誕生したんだと納得しました。

ただし、目標に到達したとしても、それは「始まりの終わり」であり、必ず先があるのです。そのとき、新たな目標を定め、それに向かって行動し続けなければなりません。それを自分が納棺されるまで繰り返します。

「終わりを思い描くこと」から始めよう

これは「七つの習慣」のスティーブン・R・コヴィーが二つめに挙げた習慣です。

「七つの習慣」とは

ちなみに「七つの習慣」は、20年前に書かれたもので、人格向上と公私にわたる成功のための原則として7〜8つの習慣を挙げています。漫画化されたものも多くの人に読まれていて、これもビジネスを扱うコミックの中で高い評価を得ています。

以前の仕事で行き詰まり、TV番組の中で漫画が紹介されたのを見て購入し、自らの考え方を改善するきっかけとなりました。その後も、最近のような人生における悩みがあるたびに読み返し、自らの人生の指針を再認識しています。

たとえば最初の「インサイド・アウト」は、自分の置かれている辛い環境は、じつは自分の問題であるという考え方です。状況を都合の良いように見ていて、その環境に「辛い」という反応を起こしているのです。人の態度がむかつくというのではなく、人の態度に自分が反応し、むかつくという反応を選択しているというのです。理性的な人は、そういう選択はしないのです。
また、辛い状況でも、主体的で前向きな選択をする大切さも教えています。

最初は漫画から読んでみると良いかもしれません。

終わりを思い描くこと

日々目標もなく、仕事に追われ、流されるままに生きてしまっては、せっかくよじ登ったはしごだけれど、実は間違った場所にかけられていて、軌道修正が困難になってしまいます。
あとで「こんなはずではなかった」と後悔してしまうのです。

家を建てるときは、必ず設計図を作ります。そして設計図に従って建築します。つまり、一つのものに対して、二度作っているのです。

人生についても同じ事です。一度目標を定め、それに向かって努力する。自分自身で描いた目標であるため、主体的に生きることになります。もし目標が他者にゆだねられたら、他者によって生かされているだけになります。

あるべき姿をできるだけ具体的に思い浮かべます。しかしいくら思い浮かべても、それを目指して行動できなければただの妄想です。そこへ到達するにはどうしたらいいのか、何を成し遂げなければならないのか。それを具体的にし、一つずつ成し遂げていけば、必ず到達できると信じて、日々生きていきたいものです。

私が見た「始まりの終わり」とは


そこは家の近所の小高い丘の上にある公園です。春を迎え、だいぶ暖かくなりました。目の前には一人の少女と女性が立っていて、こっちを見て手を振っています。

女性の方はそれほど背が高くなく、みんなが振り向くような美人というわけでもなく、どちらかと言えば地味な方です。眼鏡をかけていて、黒髪のストレートのショートボブがトレードマークです。

少女は二歳くらいで、先ほどまで公園をぎこちなく歩いていました。髪の毛はだいぶ伸びてきて、短いツインテールが作れるようになりました。

彼女たちは私の家族です。妻はおっとりとしていながらも、母になってからは強さを見せ、私もたじたじになることが多いです。娘は徐々に言葉を覚え、話しかけると元気に答えてくれます。

私は、こんな私の元へ嫁いでくれた妻をいとおしく感じているのと同時に、ほかの誰よりも誇りに思っています。自分自身はもちろん、家族のみんなが幸せを感じられるよう、手を取り合って成長し続けることを望みます。

妻は、家から持ってきた直径30センチメートルほどのボールを娘の方に転がすと、娘はボールを受け取り、私の方へ投げ返してきました。そして私がボールを受け取ると、それを妻の方へ投げます。そんな何気ない遊びでも、家族の絆が深まっていくのを感じられました。

休日に家族と出かけて過ごすこのひとときは、忙しい仕事のことをいったん忘れることができます。ようやくたどり着いたこの幸せをかみしめて、かけがえのない家族のために、これからも尽くし続けようと心に誓うのでした。

そこに到達するために成し遂げていること

仕事について

家族を養うには、仕事で多くのお金を稼げなければなりません。多くの給料をいただくには、それに見合った価値を顧客・会社にもたらし、貢献つづけなければなりません。また、妻が妊娠・出産・育児で一時的に仕事ができなくなるので、なおさらです。

今の私には家族を養うほどの収入を得る仕事に就いていませんし、多くの価値を生み出す仕事ができるわけでもありません。もっと多くの価値を生み出すためには、日々スキルや知識を身につけるとともに、優れた人格を培わなければなりません。いくらスキルを身につけたとしても、人間的に問題があれば、いずれ会社に居づらくなってしまいます。

そして就職面接でスキルや経験、仕事で成し遂げたいことをアピールし、それを目指して邁進することを宣誓しなければなりません。

今の仕事は楽しいです。最初のうちは一つの作業に非常に時間がかかりましたが、作業に必要な情報を取捨選択し、使用するツールを切り替え、自動化できるところは自動化するなどの最適化により、私だけではなくクライアントであるBUを含め工数削減に寄与できました。

しかし、今の仕事で満足するつもりは毛頭ありません。磨けるスキルはいずれ頭打ちになります。プログラムなどを組むことを通じ、もっと楽しい仕組みを作ることができるようになり、価値の高い仕事ができることを目指しています。

そのためには、今年中にRuby/Ruby on rails、Perlを習得し、jQuery/Javascriptとの組み合わせにより、Webアプリを作れることを目指します。

また、現在の派遣社員を卒業し、就職して安定した収入・地位を得ると共に、仕事を通じて成長を実感し続け、楽しい仕組みを作り出し、顧客や会社に多くの価値をもたらせるようになります。

しかし、会社のために心身の健康・家族・信仰を犠牲にはいたしません。多くの成果(product)を生み出すためには、その能力(capability)を維持・向上しなければなりません。高稼働になってしまうと、 capabilityを損なうだけでなく、イノベーションのための活動ができなくなります。結果的に、生産性も下がり、人材の価値も下がり、人間性も損ねてしまいます。

水曜日に仕事をしていると、「あと2日と5時間くらい働かないと週末にならないんだ」と憂うつになるのではなく、自分のやっている仕事に没頭し、どうやったら素敵かつスマートに作ることができるのかに関心が持てるようになり、あっという間に時が経ち、「もう定時?」と思うような仕事をしたいです。

会社にとって、人材をコストではなく資産としてとらえているところは、安い賃金しか払わないのに高稼働でこき使うことはないでしょう。プロとして高いproductを生み出すことを考え、職員のcapabilityを維持・向上させた上、日々のイノベーションでさらに高い生産性を発揮できることが望ましいです。そのような会社に勤めるか、そうなるように働きかけられるようになります。

また、人を脅したりだましたりして金を巻き上げるようなビジネスや、コンプライアンスを無視した慣行には荷担いたしません。仮に多くの金銭を得たとしても、結果的に人を不幸にすることは、価値をもたらし社会に貢献するという「仕事」の根本から外れてしまうからです。

結婚と恋愛について

「始まりの終わり」に到達するためには、二年後くらいには結婚していなければなりません。

しかし、私が結婚するのは「片目しか見えない亀が、大海の中で、自分の体を収められるほどに穴の開いた赤栴檀の流木を見つける」くらい難しいでしょう。

なぜならまず人生の伴侶となる恋人を見つけなければなりません。そのためには、仕事やその他の活動を通じて様々な人と出会い、縁をしていかなければなりません。

またせっかく見つけた縁も、手を伸ばしてつかまなければもう二度と現れません。臆病な昔の自分とさよならし、勇気を持ってアプローチします。

かといって、誰彼かまわずデートにしつこく誘ってしまうとセクハラで訴えられます。以前流行していたCFのように「私はこれ(小指を立てて)で、会社を辞めました

を自分でやるわけにはいきません。仕事での成功も失うでしょう。相手が嫌がっているならば、頭を冷やしていったん引くことも必要です。

もし相手の方が自分に興味を持っているのならば、気づかないふりをするのはやめ、気持ちをくみ取り、相手を信じて想いに応える勇気も必要です。あのとき彼女は私に好意を持っていたのではと気づいたときは、相手がもう自分の世界から消えたときだったというのがいかに多かったか。
でも見込みがなければあきらめることも必要です。恋人ができるまでは、意識を一人に集中させないようにします。もしダメになったとき、ストーカーのように振る舞うのは避けなければなりません。

私は先ほども言ったとおり、女の子が苦手です。関心のある女子と話をすると頭が真っ白になり、沈黙を避けようとめちゃくちゃな話を一方的にしてしまいます。相手が何に興味を持っているかも分からず、見えない的めがけて矢を放っているようなものです。
また私の話で笑ってくれることはありません。こんなことでは、まともに心を通わせることができません。

私の彼女に求めることは、華美にならず、お互いの話に興味を持ち、常識や一般論という物差しにとらわれることなく、人間的な幸福を求めて、正しい価値を選択できる勇気を持つことです。変わり者になれと言う意味でも、自分の幸せのためには法を犯すという意味でもありません。しかし、もしこれができなければ、この後で述べられることでつまずき、私の元を去ることになるからです。

仮に両思いになったとして、どうやってデートをして絆を深めるか想像できません。プランを立てて相手をエスコートしてあげられないと、優柔不断だと思われ、この先の人生がうまくいきません。
(これについては、そのときに考えることにします。相手が何に興味を持っているかによって決めることなので。)

常に彼女とは連絡を取り、お互いを知り、理解を深めます。私のことも知ってもらいたいし、彼女のことも知りたいと思います。彼女が悩んでいれば話を聞いてあげ、逆に自分が悩んでいれば相談し、助言を受けます。
お互いの夢の実現に向かい、支え合って、成長していきます。

結婚前に避けて通れないのが、彼女の実家へ行って彼女の両親に挨拶すること。彼らは私のことをいろいろと調べ、彼女が私の嫁としてふさわしいかどうかを査定してくるでしょう。
私と一緒にいる彼女がどんなにがんばっているか、どれだけ輝いているかを伝え、自分を通じて彼女が幸せになれることをアピールします。

最大の難関は、私の信仰に対する彼女と彼女の両親の理解、そしてプロポーズです。
信仰に理解のない彼女は、宗教に対してとても不安を感じるに違いありません。しかし彼女を愛し、愛される私があるのも、信仰を通じて功徳を得て、優れた人間性を獲得した結果なのです。
私から信仰を切り離してしまうと、私の福運が尽きてしまい、人間性を損ねてしまい、彼女を愛すことができなくなり、結果的に愛されなくなってしまいます。結婚し、家庭を持ったとしても、幸せな生活を担保出来なくなります。

もし「信仰を理由に別れる」と言い出したら、それは彼女は私のことを愛する覚悟が足りず、臆病になっている証拠です。あるいは、私の信心を試そうと、彼女に三障四魔の「業障」が宿ったのです。
私は真剣に祈り、障魔を打ち払い、いっそう強くなった私を持って彼女の不安を取り除こうと思います。

もし彼女が信仰を受け入れられたなら、私は彼女を心の底から誇りに思い、一生かけて彼女を守ります。どんな困難も仏法の力で乗り越え、幸せな家庭を築くことを誓うプロポーズをするでしょう。
ここに来るまでの困難が大きい分、訪れた幸せは計り知れないほど大きなものとなるでしょう。

信仰について

私の人生に於いて、信仰はなくてはならないものです。信徒を金儲けの道具や政治活動に利用したりする宗教、あるいは社会・慈善活動や精神を統一すると言うだけの修行の話は多く聞きますが、私の信じている宗教はそんな中途半端なものではありません。

最も優れた本尊への信仰を通じて、自らに秘められた仏性を開花し、知恵と勇気、優れた生命力と人間性を授かることができます。高められた私は、仕事、経済、友人、恋愛・配偶者との関係などで、より高い価値をもたらすことが出来ます。

しかし、現時点で満足してはいけません。それは私が出会った人に対し、信心の素晴らしさを伝え、私と共に信仰を決めてくれた人がまだいないからです。

この信心は、人の信仰の誤りを指摘し、正しい仏法に導くことで、人を幸せに出来るばかりでなく、自分自身も幸せになれます。まず今年中に一人、それから毎年一人以上決めたいと思います。それまで信心を維持、増強し、勇気を持って信心の話をしていきます。

総本山の任務にも今年は7回参加する予定です。任務は楽ではありませんが、そこで出会った仲間と絆を深めると共に、参詣者が混乱することなく御開扉、下山できるよう、力を尽くしていきます。
そして任務に於いて自分が受ける御開扉で、任務を遂行できたことを感謝すると共に、これからの仕事・生活などの人間活動、信心において、さらに充実したものにすることを、大御本尊様の前で宣誓します。
激務をこなした後は、仕事や生活で多少つらいことがあっても、乗り越えられると信じています。

寺院での行事があれば、必ず参加することを目指します。住職の指導を拝聴し、仏法への理解を深め、人生の指針とします。
支部折伏目標にコミットし、自分だけではなく、自分が折伏して仲間にした人や、仲間の信心活動もサポートしていきます。

ニュースでは経済の先行きは明るいと言われているにもかかわらず、多くの労働者が労働環境や可処分所得の少なさで苦しんでいます。子供の6人に一人が貧困にあえいでいます。
また、国民が抱えている怒りをくみ取り、知恵の乏しい国民を扇動し、自国の利益のみを最大化するような指導者が誕生するなど、三毒が国土にゆきわたっている構図が浮き彫りになっています。

それも不完全な教義、本尊の宗教を信仰することで人々の価値観が狂い、貪り、怒り、愚かなるの三毒が蔓延し、その結果人間性が損なわれ、生命力が失われます。そういう人が国中にあふれると、侵略戦争や災害、疫病や飢饉が起こります。

そのような人を一人でも救い出し、多く仏法の元へ導くことにより、その人は蘇生されて輝かしい人生を送ることが出来るのです。その姿を見ることが、最大のドラマと信じています。

だから、私が心を開いた相手には、必ず信心の話をするようにします。
私の立ち居振る舞いを通して、この信心が素晴らしいと思われるようになれるよう、かといって打算的な振る舞いをしないように注意します。

人生には苦難の連続です。仕事、人間関係、家庭、健康など…。さまざまな迷いや不安が襲いかかります。
しかしそのような状況こそ、さらに信心を深く保ち、困難を乗り越える知恵と勇気を授かって臨みます。ただ祈っただけで困難を乗り越えられるという甘い考えは抱きません。自分の行動を因として、諸天の加護で望ましい結果が得られるようにいたします。

2021年2月には、大きな法要が執り行われます。
そのときはもう47歳となり、正しく「始まりの終わり」に向かっていればその頃は小さな子供を抱えています。総本山の任務で、報恩感謝の気持ちを伝えられるのが理想ですが、生まれた子供を置いていくのは難しいです。一般参詣者として参加することも視野に入れます。

「ミッションステートメント」を策定します

あの子との出会いがなければ、未来のあるべき自分について思い描くこともありませんでしたし、自分の心や習慣、性格や悪いところも浮き彫りにならず、なりゆき任せの人生を歩むことになりそうでした。彼女によって、私の人生の目標を知るきっかけがつかめたのです。そういう意味で、彼女には感謝しています。

私の「始まりの終わり」を目指すには、私だけの行動指針を制定するのが効果的です。
あるべき人格、なしとげたい成果、価値観や原則を記します。

こちらは「プロフィール」に掲載します。


コメントは受け付けておりません。